石井戸歳時記 東京 世田谷 大蔵                                   
                                                                          
   HOME
                                                            
    きょうの朝、私の家から 採れ立ての風景を摘んで来ましたので  

                              どうぞ ・・・。

   



丸子川源流

   この小さな流れは、丸子川の源流です。

  この場所にかつては、馬が・・・・・。


   七人の侍のロケ地の今は、親子連れや子ども達の

  かっこうの遊び場(特にザリガニ採り)になっています。

  まれに沢蟹などもいるそうです。


      ここは、東京都内だというのに、自然が豊富です。  貴重な自然環境の保護にご協力ください。


  

     ・ 石井戸という町へ行くには、 まず東京・世田谷区内を東西に横断している世田谷通りを下って行きます。

     砧小学校前という交差点があります。その手前100m程の所にある酒店(南側)脇の仙川沿いを下流の方へ入って

     いった一帯が、石井戸です。

      地形は、東京湾に向かって 馬の背のような形で構成され、両サイドには、仙川と野川が流れています。

     馬の背の地下では豊かな水脈も東京湾方面へと流れているらしく、飲料水に適した井戸が幾つか点在しています。

                                                      朝7:00〜夜10:00

       車は、歓迎しません。世田谷通りを登って来た場合、酒店の所は、時間帯で右折禁止です。 あしからず。


        ・・・石井戸、こんな石井戸の町や歴史などを、今からご紹介したいと思います。



 1, 仙川(かみやと橋 20m下流 堰堤) 石井戸の町と その周辺の

  歴史的沿革    ←少し大げさです。

  <縄文時代〜弥生時代>(三漢、前漢、後漢、ギリシャ、ローマ時代)

  ・ 縄文時代の早期には古代の人々が、この地に住みついていた。

   弥生時代の住居跡や古墳時代の古墳時代の後期円墳が、石井戸周辺で

   見つかっている。

     (大蔵遺跡、大蔵殿山遺跡、大蔵総合運動場遺跡、大蔵古墳群など)



       かつて住宅などの開発により、おびただしい数の 縄文式土器や貝殻などが、出土していたと聞いた事があります。

     にわか考古学者が数多く誕生し、スコップ片手に出かけて行って古代への想いを 馳せていた。



  <奈良時代>(新羅、唐、封建制)

   ・ 現在の東京都世田谷区大蔵(おおくら)という 地名の由来、

   延暦七年(788年)に 石川朝臣豊人(いしかわのあそんとよひと)という人が、武蔵守となり 次に

   大蔵卿(おおくらきょう)となった(続日本紀)ことから、このあたりを大蔵村、大蔵というようになった。

    ここで言う大蔵とは、律令制度下での朝廷の財務を扱った役所のこと。



  <鎌倉時代>(高麗、元、封建制)        

   ・ 仁冶元年(1240年)には、源頼朝の重臣安達盛長の孫源景盛の次男石井石見守兼周(いわみのかみかねちか)が、

   幕府から武州石井郷(いわいの)大蔵村を賜り、移り住む。

   ・ 応永年間(1394〜1428年)足利氏満が、鎌倉大蔵ヶ谷に永安寺を建立したが、後に遺臣二階堂信濃守盛秀が、 

   鎌倉の大蔵ヶ谷と同じ地名大蔵村(世田谷)の地を求め、龍曄山長寿院永安寺を再建した。



  <江戸時代>(李氏朝鮮、清、絶対主義)        

   ・ 元禄三年(1690年)石井兼重が、家塾菅刈学舎を開き 玉川文庫を創設。


   この石井家に安永七年(1778年)に石井至穀(しこく)が、生まれた。

   長く幕府の御家人として江戸城に努め、嘉永四年(1851年)には書物奉行に任ぜられた。

    この地に学問の先駆けとしての道を開いた。




                                       TOP                      


 2、

    人々のくらし

    ・ 昭和初期ごろまで石井戸は、畑作が中心で水田はあっても泥田だった。石井土ともいわれていた。


    ・ 石井戸に流れる仙川には、石井戸橋〜大蔵氷川神社までの間に 九つの水車があり、水には不自由しなかった。

     中之橋のたもとにあるお地蔵様は、仙川に流された子供を供養するために安置された。

      お地蔵様の隣に鎮座している庚申様(こうじんさま)は、おろそかにすると祟りがある恐ろしい神様だといわれている。

     その昔、祭礼の最中に庚申様の頭に小便をひっかけてしまった輩がいて、石井戸が大火事に見舞われたという。


    ・ 川は、きれいでサワガニ、メダカ、エビ、カニ、ドジョウ、ウナギ、ハヤ、シジミなどが採れた。


    ・ 現在 野川という河川と東名高速道路が、交差する北西側に 田直(たなおし)と呼ばれる所がある。

     何故 田直という地名なのか。 以前から、疑問に思っていたのだが、その由来は、江戸時代に遡る。

     昔 そこいら辺は、水田だったが。水源の水が乏しく、すべての田んぼに水が行き渡らずに百姓たちは、困っていた。

     水争いが生じかねないと、皆で考えた末 田んぼをやめて、畑に作り変えた。

     その事から、田直という呼び名になった。 石井戸の人々は、皆 争いごとが嫌いで優しかった。


    ・ 農家の生活は、自給自足で みそ、しょうゆは、自分でつくり米と麦のご飯に野菜の漬物、みそ汁、煮物のほか川で

     採った魚をおかずにしていた。


    ・ 農家の建物は入り口を入ったところに広い土間があって、そこに収穫した作物を置いたり その奥にカマドがあり

     炊事場を設えていた。水は、井戸から汲んできて桶に貯めてあった。


    ・ 農家の人々の着るものは、野良仕事の時は、男性は木綿の半てん、腹掛け、ももひき姿で、女性は、かすりの着物に

      たすきをかけ、腰巻という姿だった。

      農閑期は、男衆には仕事がないので植木屋の手伝いをしていた。


 3、

     現代のくらし

    ・ 現代は、どこといって他の地域となんら変わったところはない。

     ただ 町会のイベントや古くから伝わる神社の祭礼、寺の行事などは、周辺地域の人々が協力しあいながら今も続いています。



     しだれ桜で 知る人ぞ知る「おおくら大仏・妙法寺 お会式(おえしき)の行事」は、この地域に戦前から根付いている

     貴重な文化だと言っても差し支えないでしょう。


     ※ このお会式は、誰でも見ることができます。

      社会全体が閉鎖的な中、 お会式は、地域の人々の秘めたるエネルギーを湧き出させているかのような感じを受けます。

      興味のある方は、見に来られてはいかがでしょう。 お会式の日を、心待ちにしている人もいると聞いています。 

      時期になると 境内にある枝垂れ桜が、 とてもきれいです。 ライトアップされた夜桜は、圧巻。


      地域のために開かれているという印象が、このお寺にはあります。 

     お寺の努力もさることながら、それが地域に受け入れられている要因だと思います。



      追記、 これら地域の諸行事を今ひとつ調査し、私の独断に近い形で紹介していきたいと思います。



                                                 ※ 世田谷区監修 『ふるさと世田谷を語る』 から大部分を抜粋



                                      HOME    TOP